[]村上彩子さん コンサートに打ち込む

f6073c76.jpg 昨年末、武蔵野公会堂で開催されたクリスマスコンサート、「吉祥寺のクリスマス」でも歌われた村上彩子さんが、先に地元広島県でコンサートを行なった。その様子が中国新聞に掲載された。人生を通じて取り組みたいと彼女が考えているかつての大戦にて戦死した戦没者学生たちの遺作絵画、音楽の紹介、奉唱については特に今後積極的に機会を作っていきたいと考えていらっしゃるそうである。



 私も微力ながらこれを側面から全力で支援する所存である。



以下、中国新聞からの引用。



 不屈の歌姫、命のソプラノ 福山の村上さんコンサート '07/5/12



 東京芸術大を今春卒業し、晴れの舞台で歌う村上さん。輝きを取り戻したソプラノは天井を突くほど伸び続けた。

 

 七度目の挑戦で東京芸術大に合格し、春に卒業した福山市神辺町出身の声楽家村上彩子さん(40)=東京都練馬区=が十一日、広島市中区の県民文化センターであった同大新卒生のコンサートに出演した。音楽の道での挫折や家族の不慮の死など苦難を乗り越え、「音楽を通じて、命の大切さを訴える社会活動に取り組みたい」と情熱を燃やしている。



 赤紫色のドレスに身を包んだ村上さんは、この夜、まばゆいステージライトを浴びながら、カッチーニ作曲の「アベ・マリア」など四曲をソプラノで熱唱した。



 大阪音楽大を卒業、一度は音楽を断念して人材派遣会社に就職したが、再び声楽家を目指すことを決意。十二年前に会社を辞めた。アルバイトで生活費を稼ぎながら東京芸大に挑んだものの、先の見えない孤独な戦いにノイローゼとなり、死を考えたこともあった。



 太平洋戦争中、東京美術学校(現東京芸大)などから戦地に向かい、亡くなった画学生たちの絵と出会ったのが、転機となった。志半ばで倒れた学生たちの無念さを思い、再び奮起。二〇〇三年に念願の合格を果たした。



 夢にまで見た芸大生活も平たんではなかった。全国から集まる若き才能と競い合う重圧や、生活のためバイトにも明け暮れる負担…。三年生だった〇五年に実家が全焼、祖母を亡くした。ショックで声が出なくなった。



 それでも、周囲の人たちの支えで立ち直り、逆境を克服した自分の経験を生かした演奏活動を続けたいと心に決めた。卒業後間もない四月。「自殺したり、虐待に遭ったりする子どもたちや親に何かを考えてもらう機会に」と、親子の愛をテーマにしたコンサートを岡山県早島町で開いた。



 「回り道をしたけど、いろんな経験をしてきた自分だからこそ歌えるものがあるはず」。不屈の歌姫は心に誓っている。