[]高田渡 「タカダワタル的」5月24日から封切り

1bca5ff6.jpg 2005年4月、公演先の北海道で倒れてそのまま逝去したフォークシンガーの高田渡岐阜県生まれの彼だが、ここ吉祥寺とたいへんに縁が深い人である。ちょうど駅の南口から三鷹駅方面へかなり20分ほど歩いたところに妻と暮らしており、それゆえ、飲み屋の「いせや」本店にその姿をしばしば見せた。私も彼が飲んだくれながら誰かとしゃべっている姿を見たことがあるが、彼と話をしたことはない。図々しく隣にでも座って話しておけば良かった・・・。晩年はアルコール中毒状態で内臓がぼろぼろだった。早い逝去が惜しまれる。彼のウェブサイトに記載されているように臨終洗礼を受け、カトリック吉祥寺教会で追悼の葬儀ミサが行われたが、その際もたいへんな数のファンが別れを惜しんだものである。



 タカダワタル的



 という映画が生前、女性映像作家によって公開され大いに反響を呼んだ。これの第二弾、23才の高田渡が唄う貴重映像なども含めて再度、上映される。



 タカダワタル的・2」

 

 ここ吉祥寺のバウスシアター、あるいは新宿テアトルなどで見ることができる。これまでに見られなかった未発掘の映像が多い。5月24日から封切りとなる。



 1972年 自主製作記録映画 「吉祥寺発赤い電車



 例えば、この映画の一部が約30年ぶりに発見された。群馬・高崎音楽堂で歌う若い溌剌とした高田渡が映画の冒頭で活躍する。



 2003年、吉祥寺・いせやで、歌、お酒、好きな風景、仲間やお客さんのことなど彼が話す様子が映っている。吉祥寺いせやはただいま新装オープン直前。6月に新装開店予定である。

 

 「ライブの中には僕がほとんど集約されてる。飲んでる時は、オマケだ!」



 日本の再軍備、国防を逆説的に歌った



 自衛隊へ入ろう



 は彼の人生、最大のヒット曲になった。 



 高田 渡 Wataru Takada

 

 1949年、岐阜県に生まれ東京に育つ。中学卒業後、昼間は印刷会社で働き夜は定時制高校に通う生活を送る中、アメリカのフォークソングに傾倒し曲作りを始める。

 

 1968年、フォークキャンプで『自衛隊に入ろう』を唄い注目され、翌年『高田渡五つの赤い風船』でレコードデビューを果たす。自作のほか、明治・大正・昭和の演歌師や山之口貘をはじめとする詩人の現代詩に曲をつけたスタイルを確立する。そんな独自の手法で日本のフォークソングを次々と作り出し、40 年近く全国各地で唄い続けた。



 2005年4月、逝去。享年56歳。今も“高田渡生誕会”が毎年行われている。