[]中近東文化センター 煌めきのペルシア陶器

51f55ae0.jpg 吉祥寺駅から西へ二つ中央線で走ると武蔵境駅。駅の南口から小田急バスに乗って「西野」で降りると国際基督教大学ICU)、ルーテル神学大学、東京神学大学が寄り集まった広大な敷地がある。その一角に建てられているのが、中近東文化センター。建築家、岡田新一が設計し、オリエンタルな雰囲気を醸し出している建物は、古代メソポタミアの神殿、「ジグラット(ジッグラト)」を模して作られたもの。10年ほど前、NHKスペシャルでメソポタミヤ文明についての特集があった際にも有名になった。



 同じ「アジア」に所属しているとされているが、中近東は果てしなく欧州に近い地域であり、アジアより欧州との結びつきの方が強い。この地域の文化は 時間的、歴史的、空間的に悠久、壮大。内容が豊富な人類史そのものと言える規模を持つ。イラク、イランなどバビロンの半島に暮らすアラブ人たちは、今から2000年、あるいは4000年前に花開いたこれら古代の文化について、全くあたかも昨日のことのように記憶し、自らの心の中に刻み、人生に投影している。これは日本人や欧州、北米の人たちがなかなか理解しにくい感覚であるが、民族的記憶に近いものといえる。



 なぜここにこれほど立派な中近東の歴史的文化を専門研究施設があるかというと、昭和天皇裕仁実弟三笠宮崇仁による発案で、出光興産の創業者だった故出光佐三らの支援もあって作られたもの。三笠宮はかつて戦前に帝王学の一つとして歴史、考古学を学び、ヘブライ語もすらすら読み解くことができる日本でも屈指の研究者、学者として指折りの成果を残している。彼は皇室の一員としてよりもこれら学者としての足跡、存在感が遙かに大きい。



 1979年10月に開館して以来、月曜、木曜の休館日を除いて博物館、展示室、図書室、講堂、研究室、収蔵庫などが完備したこのセンターは好評を博している。



 今、



 煌めきのペルシア陶器展 11〜14世紀の復興と技術革新

 

 が開催されている。2008年3月8日(土)〜7月6日(日)まで。その後は、

 

 中近東の植物と生活 2008年7月19日(土)〜9月28日(日)



 という企画展になり、来年には、ヘレニズムの華ペルガモンとシルクロード、発掘者カール・フーマンと平山郁夫のまなざしといった展覧会が予定されている。常設展示の中近東の美術と工芸と合わせて楽しむことができる。

 

 以下、パンフレットから転載。



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 イランでイスラーム時代に製作されたペルシア陶器は、11世紀に中央アジアから到来したトルコ系の王朝セルジューク朝 (1038-1194)の時代に大きな転機を迎えました。この王朝のもとではペルシア語が使われ、ペルシア文学や諸学が隆盛しました。そしてこの時代が、『ペルシア陶器の黄金期』とも称される陶器がひときわ煌めいた時代でもあったのです。



従来の陶器は一種類の陶土で製作されていましたが、セルジューク朝になると何種類かの陶土を混ぜ、さらにガラスの粉などを加えて白く薄くそして丈夫な陶器が作られるようになりました。また陶土の改良に伴って、釉の色も透明釉やトルコ石を思わせる明るい青色が主流になったのです。さらに陶器を飾る装飾技法にも、彩画・刻線・浮彫り・蛍手・掻落などが見られ、光輝くラスター彩陶器がイランで最盛期を迎えたのもこの時代でした。まさにペルシア陶器に技術革新が起こった時代だったのです。



13世紀に東方から侵入したチンギス・ハーンの孫フラグに率いられたモンゴルは、イラン各地の都市を破壊し、陶器生産も一時衰退しました。その後フラグにより建てられたイル・ハーン朝(1258-1353)の時代に一部の窯は復興し、新たにラジュバルディーナ(ラピスラズリー)やスルタナバードと称される、この時代独特の陶器が生み出されました。



本展は、昨年から始まったペルシア陶器をテーマとした第2回目の展覧会です。約200点の11世紀から14世紀のペルシア陶器や中国陶磁器そしてイランの遺跡から採集された陶片資料などをとおして、セルジューク朝時代の陶器の技術革新からイル・ハーン朝の窯場の破壊と復興までを東西交渉史にもふれながら紹介します。鮮やかな色彩とバラエティーに富んだ装飾技法で彩られた『煌めきのペルシア陶器』の世界をお楽しみください。