野口伊織と吉祥寺展

e38bb5e8.jpg 生前の野口伊織。


吉祥寺には個性的な店がたくさんあるが、その先駆的な店作りを手がけた伝説的オーナー経営者が野口伊織。ジャズ好きで吉祥寺にもジャズ店を多く作ったが、これが今に繋がる音楽の街の原型作りに影響を与えている。その彼をしのんで


 吉祥寺・大正通り沿いの「mono gallery」で9月1日から、

 「吉祥寺にジャズをありがとう 野口伊織と吉祥寺展」

 が開催される。


http://www.iori-n.com/

 1942念、東京生まれ。1959(昭和34)年に銀座から吉祥寺に移住。翌年、両親が経営する喫茶店の地下に当時高校生だった伊織が提案しジャズ喫茶「ファンキー」が誕生する。今でもこれはパルコ吉祥寺店の裏手に健在である。


 慶応義塾大学を卒業後、1966(昭和41)年にファンキーを地上2階・地下1階に改装して本格的に店舗プロデュースを開始。これが吉祥寺のジャズ喫茶ブームのさきがけになった。その後、地下「サムタイム」のジャズライブレストランを手がけることに繋がる。


 現在は閉店したが東急百貨店の裏にあった「西洋乞食」、今も人気のケーキ屋「レモンドロップ」、「OLD CROW」、「蔵」、吉祥寺有数の人気店「金の猿」などの飲食店を次々と開業している。


 
 これまでレストラン、バー、和食、居酒屋、喫茶店、ケーキ店など幅広いジャンルの店を、吉祥寺を中心に30軒以上開いている。


 しかし、惜しくも2001年、脳腫瘍で死去。享年58歳だった。ハンサムで話もうまく、慶応ボーイの育ちのよさもあいまって大変な人気者であった上、ジャズ以外にも多趣味で社交的だったこの人の逝去は多くの友人、関係者から惜しまれた。



 没後10年に開催されている回顧展。愛用のサクソフォーンやカメラ、酒などの遺品を展示している。自身が撮影した「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の写真をスライド上映し、会場には好きだったジャズナンバーを流す予定。


 また、同時代の吉祥寺の変化の様子も年代別に紹介。通りが舗装されたり建物が建ったりと吉祥寺がどんどん人気の街になっていく姿を、野口さんが関わってきた仕事と重ね合わせ、写真やいろいろな人の証言で見てもらうという趣向になっている。


 
 喫茶店など飲食店経営ではトップクラスの力を持っていた人であり、デザイナーを使って設計した店は空間の演出や音に関してセンスがよく最高のものを使っていたといわれる。

 

 今回のギャラリーのオーナー、藤川さんは野口さんと同世代で、生前から親しく吉祥寺で生まれ育った地元人。

 
 『住みたい街ナンバーワン』となった吉祥寺であるが、こうした人たちの地道な努力があって今に至っている。

 
 開場時間は13時-20時。9月5日まで。

 TEL 0422-22-8812
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-15-1-2F 〒180-0004
http://www.monogallery.com/