[]「吉祥寺のクリスマス」を終えて

8c5d8955.jpg 23日夜、武蔵野公会堂にて開催されたクラシックコンサート、「吉祥寺のクリスマス」。主催者としてやっと肩の荷が下りた思い。雨も降らず、お客様も入ってくれて盛況のうちに終えることが出来た。



 第一部の中ノ森めぐみ、村上彩子の演奏はそのまま芸大の卒業試験に演奏されるものも含まれており、かなりプロ向きの面もあったと思われるが、お客様は満足していただけたようである。両者ともまずまずの演奏を見せた。

 

 中ノ森のピアノはヨハネス・ブラームス。音響的には非常にまずい武蔵野公会堂ホールをものともしない天下一品のグランドピアノ、スタインウェイがその迫力ある音色を遺憾なく発揮。孤独感と哀愁を十分に感じさせる秀逸な演奏は、その演奏する姿も様になっていた。あの細身の体でどうやってこのような演奏が生み出されるのだろうか。



 村上彩子の歌唱は、過密日程による練習不足が心配されたが、どういうわけか今回は本番に強かった。特に、



 “輝けるセラフィム”     オラトリオ「サムソン」より (ヘンデル

 “私にユバルの竪琴があれば” オラトリオ「ヨシュア」より (ヘンデル

 

 は舞台袖で聴いていても気分が沸き立ってくるような軽快なテンポ。観客を魅了した。

 

 その後の



  星の夜 (ドビュッシー

 “影の歌”  オペラ「ディノラー」より (マイヤベーア



 は難曲。本来、これを歌うのは辞めたほうがよいのではないかと私は事前に申し上げていたのであるが、本人の強い意志もあり急遽、プログラム曲を差し替えて対応したもの。1月9日、芸大内の奏楽堂で一般にも公開される卒業試験向けに練習したものである。ピアノ伴奏役を務めた中ノ森も驚く出来で、一流歌手に遜色ない仕上がり、といったら明らかに言い過ぎであるが、良くここまで歌いきったものだ、と聴いている私が驚いた。おそらくもう二度と再現できないできではなかったか。多くのクラシックを純粋に愛するお客さんの前で幸せいっぱいに歌えたことが良かったようである。



 ところが、その後の二曲がいけなかった。賛美歌、「アメージング・グレース(Amazing Grace)」とカッチーニAve Mariaを歌ったのだが、リラックスしすぎたせいか、いつもの声のいがらっぽさが滲み出る発声がかなり混じってしまい、とりわけアメージング・グレースは歌い方に独自のアレンジを組み込んだことが大きな打撃となった。思うに、もう、二度とあのような発声でやらないほうが良い。最後の二曲で4曲目を終えたところまでの印象を台無しにしてしまったかもしれない。



 第二部のアウラは、出だしの二曲でやや音程がずれてしまった面があったように感じたが、徐々に調子を取り戻した。直前に1時間以上の空き時間が入ってしまい、十分な発声をさせてあげられなかったことが申し訳なかったと思う。



 特に私が高く評価されるべきだと感じているものの一つが、



 天界の女王よ  「モンセラートの朱い本より」



 モンセラート修道院に伝わる宗教曲であったが、通奏低音を効果的に用いた秀逸な歌唱は、こうした曲に馴染みの薄い日本人の聴衆には新鮮な印象を与えたのではなかろうか。その後のクローチェ作曲、カンターテ・ドミノも彼女たちにとって初公開の曲。これらの曲を聴くことができたお客様はたいへん幸運だったのではなかろうか、と主催者ながら申し上げたい。何より彼女たちは若さがある。活力溢れる存在感は若いうちだけに備わった特権でもある。



 彼女たちのリクエストにより、第二部から空調を止めた。空調ダクトが古いホールの構造により静音化設計されておらず、不要なボーッという音が混じってしまうからである。よってコンサート終盤、お客様は足元がやや寒かったはずでその点も申し訳なかったが、より優れた演奏にはなったのではなかろうか。



 途中、花束を渡してくださった近しい方がタイミングを誤り舞台まで上ってしまったりとハプニングもあったが、それが逆によりいっそう親しみやすい雰囲気を醸し出すのに効果的だった面もある。



 最後にモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスをアンコール用に歌って終わったが、これが即席のちゃんぽんコーラスで、しかも男声が一人、私だけだったこともあり散々なできばえ。みっともないことこの上なかった。裏方と歌い手とを両立するのは難しいことが身にしみて良くわかった。中ノ森はこのアンコール曲と村上の独唱のピアノ伴奏も担当。非常に柔軟で抑制の効いた優れた伴奏を行なった。独奏と伴奏とをどちらもあのようにこなせるのは、彼女の類まれなる素直でまっすぐな優れた人柄によるところが大きい。



 お客様からお褒めのお言葉を多くいただき、自然と湧き上がった大きな拍手に手ごたえを感じ、これまでの苦労が報われたようで達成感と満足感が残った。たいへんに苦労の絶えないこれまで半年の準備期間だったが、やれやれである。